49.銀行員の事件簿3.~東京地裁の証言台に立ちました事件
《始まり》
その時私は、既に営業店勤務を終えて本部に異動し研修講師を務めていました。
ある日電話が鳴って出ると、それは別のフロアにある法務部からで、「聞きたいことがあるのですぐに来て欲しい」と呼び出されました。
出頭して法務部から告げられた内容はこうです。
「5年ほど前に君が勤務していた某支店の某取引先から今、銀行が『債務不存在確認の訴訟』を提起されている。
調べてみると、君がこの貸出の稟議書(本部に対する貸出承認申請書のこと)を書いている。
支店決裁した当時の支店長・副支店長はすでに退職や他社出向により銀行に在籍していない。
かつての直属上司もこの案件に一番詳しいのは君だと言っている。
ついては、某日東京地方裁判所で銀行側の意見陳述が予定されているので、君に銀行側証人の一人として出席してもらいたい。」
と告げられたのです。
それはおよそその5年あまり前、私がある支店の支店長代理時代に担当した貸出案件であることはすぐに思い出しました。
そして同時に「『債務不存在確認の訴訟』って、『私は借りてません!』と訴えられているってことですよね。いえ、絶対に貸してます!それに『一番詳しいのは君だ!』では、まるで『この裁判の原因はすべてお前にある』と言われているように聞こえます。それはあんまりです!」と思わず叫びそうになりました。
その時の法務部の説明と私自身の記憶から浮かんできた裁判に至る経緯は、次のようなものでした。
《裁判に至る経緯》
この案件の借入人は、ある有名企業の創業者でした。
そしてある日突然、二代目社長に確定している創業者の長男から支店長に直接電話が入り、「父親に対する〇〇億円の不動産購入資金貸出をお願いしたい」との申し入れがあったのです。
支店にとってはまさに棚ぼた案件です。
というのは当時わが銀行は、この有名企業との取引が一切無い状態であったことから、その新規取引の獲得は支店にとっての長年の夢でした。
そこに突然勧誘なしで、社長向けの個人借入の申込があったわけで、これを契機に企業本体との取引実現も確実と思われたからです。
支店長代理であった私は、電話を受けた支店長から担当を指名され、直ちに本部への貸出承認申請、契約書受入れ、担保設定などの手続きに入りました。
稟議申請上の資金使途は単に不動産購入資金としましたが、本当は「相続税対策としての不動産購入資金借入」であることは明らかでした。
「相続税対策としての不動産購入資金借入」とは、不動産が相続税計算上、時価よりも低く評価されることと、借入金が資産評価額から全額控除されることを同時に利用して、相続税の課税対象額を減らす手法のことを指します。
今から考えれば愚かさの極みであったとはいえ、「不動産投資は確実に儲かる」という不動産神話が未だ健在な時期だったこともあり、資金使途にも問題なしとしてこの案件はすんなりと本部の承認を受け、実行に至りました。
にもかかわらず裁判沙汰に発展した理由は、その借入目的の「相続税対策としての不動産購入資金借入」そのものにありました。
貸出実行後に知ったことですが、借入人である創業社長は貸出の実行時すでに危篤状態でした。
そしてその後まもなく亡くなって相続手続きの開始となります。
ところがその手続きの中で、「相続税対策としての不動産購入資金借入」は税務署に全額否認されてしまったのです。
さらにはその後の不動産バブル崩壊により、購入した不動産の時価は借入金額を大幅に下回ることになり、借入金はメリット生むどころか大損をもたらす結果になってしまいました。
すると数年後、相続後借入金の代表債務者になっていた二代目社長は、借入大失敗の原因を銀行側の落ち度として、元利金支払を拒否するに至ったのです。
借入人は、元利金支払いを拒否すると銀行から直ちに全額返済を迫られ、これをも拒否すると法的手段、具体的には裁判手続きを経た上での強制執行を受けることが契約書上に明記されています。
一方、銀行側が借入人に対してこの法的手続きを取らないまま5年が経過すると、借入金は「時効」により消滅すると法律で定められています。
銀行は、この「時効」の成立を防ぐために、二代目社長を筆頭とする相続人一同に「貸金返還請求訴訟」を提起したのですが、逆に相続人側から「債務不存在確認訴訟」つまり「相続した借入は無効である」との訴えを起こされたというのがこの時の状況でした。
《トラブルの予兆》
自分の担当案件が裁判でもめていると聞かされた時には、さすがにびっくり仰天しました。
でも実は私はこの貸出の直後、将来のトラブルを予見させるような出来事にすでに遭遇していたのです。
それは貸出後、借入人たる創業社長が亡くなり、相続手続きも一段落した頃でした。
突然亡くなった社長の次男と称する人物が来店し、応接した私に「父親が署名した借入契約書を見せてくれ」と要求したのです。
「何か問題がありましたか?」と尋ねる私に、次男氏はこう答えました。
「父親は死ぬ間際におたくと多額の借入契約を結んだと聞いている。
しかし当時父親は意識不明でそんな申込ができたはずがない。
念のために本人の署名かどうかを確認したいので契約書の原本を見たい。」と。
その後の情報収集で分かったことですが、相続税対策のために社長の借入を決断したのは、財務の実権を握っていた社長夫人と後継社長である長男の二人によるもので、相続人の一人である次男はカヤの外に置かれていたようなのです。
さらにこの次男は長男と極めて仲が悪く、何の相談もなく多額の借入をした長男に大きく反発していたといいます。
適当な言い訳をして、次男氏にはいったんお引き取り願ったものの、「これは極めてまずい」と感じた私は、直ちに支店長に報告しました。
すると私はここでまた耳を疑うような言葉を聞かされます。
「それは前任支店長の決裁だろう。私は関知していない。担当者である君が大事にならないように解決しなさい!」と。
「それはないでしょう!社長本人に借入意思の確認をしないことは、支店長以下当時の関係者全員の了解事項だったはずです。それをすべてお前の責任だ、とはあんまりです。」
と心の中では叫んだものの、すまじきものは宮仕え、私は窮地に追い込まれました。
やがて数日後再度訪れてきた弟氏は、契約書の閲覧をさらに強硬に要求してきました。
対応はもちろん私ひとりです。
契約書の閲覧を何とか諦めてもらうことが、至上命題であることは解っていました。
なぜなら、話の流れから契約書の署名が社長本人ではなく、手続きをした長男氏の代筆であろうことがほぼ確実だったからです。
そして弟氏がそれを知れば、兄弟戦争がエスカレートし、銀行に対しても様々なクレームに連鎖していくと予想されたのです。
《窮余の一策》
孤立無援で対応を丸投げされた上に、弟氏の度重なる申し入れを拒否できるような合法的な回答は難しいと考えた私は、情に訴えることにしました。
こう話しかけたのです。
「今回の借入がお父様ご自身の意向であることについて、私どもは何ら疑いを持っていません。
そもそも私共がお申し出に応じたのは、この借入が貴方様分も含めた相続税軽減のお役に立てると信じたからです。
なのになぜこの大事な時期に、貴方が借入の事実に異議をお唱えになるのかが理解できません。
貴方が『父は借りていない』と主張されていることを所轄の税務署が聞きつけたら、大喜びで相続税の査定を増やすのではないでしょうか。」と。
結果的にこの訴えかけは大成功でした。
その日以後、弟氏の訪問がピタリと止まったからです。
私はホッと胸をなでおろしたものの、同時に大きな不安にとらわれていました。
契約書の署名が本人のものであることを立証できない限り、この問題は後日必ず再燃する恐れがある。
早急に何か手を打たなければ、という強迫観念を持ったのです。
そしてその恐れは、5年あまり後に裁判で訴えられるという形で実現したわけです。
《証言台に立たされて》
そしてついに東京地方裁判所の証言台へと引っ張り出されてしまいました。
結論から先に言うと、この裁判の判決内容は、銀行側から評価すると一勝一敗という結果でした。
一敗は何かと言うと、裁判を提起した10数人におよぶ相続人のほとんどに関して「債務不存在」が認定されたことです。
つまり、当該借入は無くなった社長本人の意思にもとづくものではないと認定された結果、借入金の相続は無かったことになって、相続人に返済義務はないと判断されたのです。
一方一勝は何かと言うと、亡くなった社長の妻および長男の両名に関しては、借入を主導した当事者としての責任は免れないとして、返済義務が認定されたことでした。
社長夫人と長男こそが、会社の経営権も含めた主要財産の中心相続人であったことから、この判決内容は銀行側からは一応の許容範囲内と判断されたのです。
そして後日私は、証言に対するねぎらいの言葉を法務部から受取ることができました。
それは社長夫人と長男の返済義務を認定する判決文の中に、私の証言が引用されていたことによります。
では私は一体何を証言したのかと言えば、弟氏の訪問が途絶えた後に自分が取った行動の一部始終を述べたのです。
弟氏の訪問が止んだ後、貸出契約の有効性に自信を失った私は、契約の保証人であると同時に借入手続きの当事者であった長男とその指示者と見られる社長夫人の言質を取ることを不可欠と考えました。
特に、会社の実権者とは聞いていたものの、その時点ではまったく面識の無かった社長夫人との面談を果たすことは、最優先でした。
そこで私はやや強引に先方とのアポイントを取り、直属の上司と一緒に会社を訪問しました。
その際に受けた二つの強烈な印象を証言台で述べたことが、結果的に面談による保証意思の確認と長男および社長夫人の責任を裁判官に認定させる材料の一つになったものと思われます。
会社を訪問して初めて面会した社長夫人は、70歳前後という年齢にかかわらずカクシャクたる雰囲気の持ち主でした。
しかし強烈な印象の一つ目はそのことではなく、応接室へと案内される廊下の途中で起こりました。
向こう側から歩いてきた二人の従業員が、社長夫人の姿を認めるや否や直立不動の姿勢を取って廊下の壁に張り付き、夫人が通り過ぎるのを見送ったのです。
私は、ここは軍隊かと見間違いそうな光景を目にして、「この人は、女帝とも言うべき最高権力者なのだ」という強烈な印象を持ったわけです。
二つ目は、応接室の中で私たち二人の銀行員を前にして、夫人が発した言葉でした。
それは、私が次男氏の申し出に困惑したことを告げた後の夫人の発言です。
夫人は次男氏の行動について「〇〇ちゃんにも本当に困ったものなのよねぇ」と言われたのです。
次男氏はすでに50歳近い立派な大人です。
それを自分の息子だからとはいえ、まったくの初対面の相手、それも身内でも何でもない銀行という組織からの公式訪問者に対して、「〇〇ちゃん」と幼児を呼ぶような言い方をされたことに大きな違和感を感じました。
そしてその後、夫人は私たち二人に対して「借入のことで決してお宅に迷惑をかけることはありません」と明言されたのです。
保証意思確認のために訪れたこの時の具体的かつ特異な経験を証言したことが、夫人および長男の借入責任の認定に貢献した一つの要因であったと思っています。
《振り返って》
この東京地裁証言台事件は、今から30年も昔の出来事でした。
結果が自分にとって大事に至るようなものでなかったこともあり、このブログを書くまではほとんど思い出すこともありませんでした。
しかし今改めて振り返ると、あの時自分は極めてまずい状況に置かれていたのだと気づきます。
今でこそ日本も欧米型の訴訟社会に近づきつつありますが、当時は銀行が訴えられるということ自体が大事件でした。
そんな中でもし銀行の完全敗訴となっていたら、案件の担当者であった私は責任を問われ、その後全く違う人生を歩んでいた可能性もあるのです。
その結果を免れたのは、弟氏の訪問が止まった時、「あぁこれで無事解決」と安心せずに、何とかしなければという危機意識を持てたことに尽きるような気がします。
一銀行員が裁判所の証言台に立つという経験が、決して特殊なものではない時代になりつつあります。
とすれば同じような事態に慌てることが無いように、こういった事件の教訓を整理、マニュアル化して形式知にしていくような努力が銀行界にも必要なのではないでしょうか。
今回のお話はここまでです。
