50.銀行員の事件簿4.~その株券返して下さい事件

《始まり》

それは、私がまだ30代そこそこで、名古屋地区のある支店に勤務していた時に起こりました。
取引先係であった私が夕方に帰店すると、何か支店内がざわついています。
よく分からないまましばらくすると、取引先係の他のメンバーも帰店し全員がそろった時点で、支店長室に集まるように言われました。
そこで私たちは、その日発覚した大事件のあらましを支店長から聞かされます。
発端は、支店の最重要取引先であったA社の財務部長から電話があり、応対した副支店長が聞き届けた話でした。

A社の財務部長が副支店長に話したのは、次のような内容でした。
「実は、お宅に担保として預けている上場企業Z社の株券についてです。
Z社は、先だって今回の配当を株式配当の形で行うことを発表しました。
お宅に預けているZ社の株券は、すべて名義書換が未済だったので配当金の権利を確定するために必要書類を融資係の方にお預けして、期末までに名義書換を完了して頂くようにお願いしていました。
ところが本来もう届いているはずの配当株券が一向に手元に届きません。
何かあったのかと心配になって電話した次第です。」と。

これを聞いた副支店長は、直ちに事の重大さを認識して、依頼を受けた融資係の担当者を呼んで手続きの進捗状況を問い質しました。
すると恐れていた通り、担当者の回答は「手続きを忘れていました」だったのです。
その結果何が起こったのかと言うと、本来A社に届くはずだったZ社銘柄の配当株券がすべて、前期末時点の株主名簿に記載されていた旧株主20名近くに送付されてしまったのです。
さらに深刻だったのは、旧株主に送付されてしまった株券を時価換算すると1億円にもなったことです。
つまり私たちの支店は、A社の1億円もに相当する大切な財産を、20名近くの見ず知らずの第三者に無断で引き渡してしまったということなのです。
後にこの事件は、「銀行始まって以来の大事件」と呼ばれることになります。
というのは、対顧客との関係で銀行が被る多額損失の大半は貸倒れを典型とする融資事故です。
融資事故に関しては、本部の融資所管部が統括するのに対して、今回の事件は事務手続ミスに起因する損失可能性であるため、本部・事務所管部の統括マターだったのです。
そして事務所管部において1億円規模に達するような事務事故は、銀行創業以来初めての経験だったというわけです。

《事件の背景》

この事件の背景を理解して頂くためには、若干の予備知識が必要です。
ここまで読まれた方の中には、「株券?なにそれ?」とつぶやかれた方もあるはずです。
というのはこの事件の原因となった「株券」制度は、2009年からの「株式の電子化」によって消滅し、現行の上場株式制度面では存在し得ないものだからです。
当時は、株券の所有者こそが実質的な真の株主とされていたものの、配当金受領や議決権行使など、株主の法的権利を行使するためには、株主名簿への登録、いわゆる「名義書換」が必須でした。

一方、株式売買の目的を配当金収入以上にその売買益、いわゆるキャピタルゲイン狙いとしている投資家の場合、売買チャンスを逃してしまうことを嫌って、時間のかかる名義書換を行わないまま株券を保有しているということもあったのです。
今回事件の当事者取引先A社がまさにそういう投資家でした。
しかしこの時A社は、株式発行会社・Z社が「株式配当」するという情報を知りました。
「株式配当」とは、配当金を現金で払うのではなく、配当額相当の自社株で支払う方法のことです。
A社は、株価好調のZ社の株式なら、今後のキャピタルゲインを生む可能性が高いと判断して、名義書換を決め、株券を担保提供していたわが銀行に対して、手続きを申し込んだというのがこの事件の背景です。

《対応》

時間を戻しましょう。
支店長は事件の経緯を説明した後、私たち取引先係に対して、耳を疑うような指示を下しました。
それは、「君たちは明日から当分の間、取引先訪問をしなくてもいい。その代わり全国に散ってくれ」と。
私は最初何を言われているのかよく解りませんでした。
でもやがて、「日本中のいたる所に散らばっている20名近くの旧株主を一軒一軒訪ねて、届いた株券を返してもらえるように交渉せよ」ということなのだと気づきました。

この指示の数時間前、支店長は事件発生の報を受けて、直ちにA社に出向きました。
ところがさすがの支店長も、相手を納得させ得る釈明が思い浮かばず、会社近くを流れる川の土手に支店長車を止めさせて一時間ほど思案したと言います。
やがて、これ以外の対応はないと肚を決め、社長に面会の上こう言明しました。
「旧株主に送られた株券は必ず、現物ですべてお渡しします。
ただし旧株主との交渉には若干の時間が必要です。
この時間的余裕を頂くことだけ、何とぞお許し下さい。」と。

こうして、旧株主との交渉による株券の回収を決断した支店長は、帰店後私たち取引先係メンバーに翌日からの全国出張を指示したというわけです。

《交渉》

翌日私は、交渉を担当する支店長代理に従って二人で大阪へ出張しました。
一人目の旧株主は、支店長代理の経緯説明と株券返却依頼に対して「突然来てそんな話をされても困る。
よく考えて回答するから、今日は帰ってくれ。」というものでした。
横で聞いていた私は、「初交渉としてはまぁこんなものかなぁ」という感想を抱いて二人目の旧株主の自宅へ向かいました。
そしてそこで私は、自分の耳を疑うような言葉を聞くことになりました。
上司の話を一通り聞いた後、その相手は言下にこう言い放ったのです。
「うちの家に届いたものは、全部私のものです。
お宅たちに引き渡すつもりはありませんから、諦めて帰って下さい。」と。
わたしは自分の耳を疑いました。
「エッ、あなたはZ社銘柄の株券を売ったのでもう株主ではないことを知ってますよね。
配当株券が届いたのは私たちの手続きミスで、その株券はあなたのものではなく新株主A社のものだと理解できたはずです。
なのに、俺のものだ返さないと言われるとしたら、世間で言う”盗っ人”と同じではありませんか!」と思い、そんな言葉が一見紳士然とした人物の口から発せられたことが信じられなかったのです。
その後の私が、同じ金融界ながら株式投資の世界を敬遠するようになったのは、間違いなくこの事件が原因でした。

《結末》

「株券取戻し交渉」の最終決着までには、それから数カ月を要しました。
結果は、旧株主中の2名は頑として株券返却を拒否したものの、残りの旧株主全体から事件発生時の株価換算額1億円のうち8千万円強を取り戻し、取戻せなかった2千万円弱が損失となりました。
つまり回収率は80%強だったということです。
この80%という数字には訳があります。
それは旧株主との交渉術をすり合わせている過程で、「ジュリスト」という法律雑誌に本件と同様のトラブルに関する判例を発見したことでした。
実は株式投資の世界では、新株主の名義書換失念により、旧株主に配当金が届くことは必ずしも珍しいことではなかったのです。
そして新株主と旧株主との配当金受領の権利をめぐる争いが裁判になったことがあり、それに対する裁判所の判例が「ジュリスト」に掲載されていたのです。
それは、旧株主20%、新株主80%で配当受領の権利を分け合うという判決内容でした。
これを知った支店長は、直ちに翌日からの交渉内容の変更を指示しました。

以後は、判例を説明して旧株主が20%の取り分を受け入れた場合は直ちにその場で妥結して、事件発生時株価の8割額を銀行宛てに振り込んでもらうこととしたのです。
しかし、この条件を株券返却に同意した旧株主全員が受け入れたとしても、2名の返却拒否者がいたわけですから、80%強の最終的回収は実現できなかったはずです。
それが可能になったのは、ツキに恵まれたからでした。
というのは、旧株主からの返却は株券現物ではなく、Z社の配当基準日であった3月31日現在の株価換算額の8割を現金ベースで送金してもらいました。
一方支店長のA社に対する約束は、受取れたはずの株数を株券現物で返却するということでした。
すると返却実施時点でのZ社の株価が、配当基準日のそれより下落してくれたおかげで、同じ回収金額でも購入できる株数が増えるという幸運に恵まれたのです。

私たちの支店が実現したこの80%という回収率は、一般的な融資事故の回収率が平均20%程度に過ぎないと言われていることを考えると極めて高い数字です。
ましてや事件発生から回収完了まで、本部組織からのサポートもアドバイスも一切無かった中で、支店長を先頭にして支店メンバーだけで成し遂げた成果でした。
しかし本部からは、事件を引き起こした過ちの追及ばかりで、その後の対処に対しては一切の前向き評価を受けることはありませんでした。

《怪我の功名》

この前代未聞の事件は、解決に悪戦苦闘した支店メンバーにとっては二度と味わいたくない災難でしたが、同時に「怪我の功名」を生む契機ともなりました。
それは事件後、支店メンバーに強い団結力が生まれたことです。
その要因の一つは、それまでの銀行業務ではあり得ない旧株主との直談判という試練に直面し、それをみんなで乗り越たという誇りです。
もう一つは、自分たちが素晴らしいリーダーの下で仕事をしているという実感でした。
そのリーダーとは当時の支店長です。

実は事件前、新支店長着任の報に接した私たち取引先係一同は、「部下にかなり厳しい支店長らしい」という周辺情報を得て、戦々恐々としながらこの支店長を迎えました。
しかし、部下である私たちに不安や動揺を一切与えることもなく、着任直後のこの大事件を見事に解決に導いた支店長を見て、私たちは大きな信頼感をもつことができたのです。
この支店長なくば事件は絶対に解決しなかっただろうとメンバー全員が心底実感していました。
その一方で当時の支店長は、本部からは厳しい批判の矢面に立っていました。
それは事件発生直後、「上京のうえ事情説明せよ」と求める本部に対して「自分が支店を離れたのでは、交渉内容への裁可を求めてくる全国に散った部下たちに応えられない」と拒否し続けたことが一因でした。
それを目の当たりにした私たちは、この支店長が自らの出世や保身よりも部下を守ることを優先する人であることを肌で感じたのです。
その結果として、私たちの間に支店長を中心とする一致団結した強いチームワークが生まれたのだと思います。

それを象徴するような出来事がありました。
事件決着からしばらくの後、「こんな事件を起こした支店なのだから、必ずや様々な問題を抱えているに違いない」との前提で、東京本部の担当者が支店メンバーへのヒヤリングにやってきたことがありました。
実際私もそのヒヤリングを受けましたが、担当者の「日頃感じている不平や憤懣をつつみ隠さず話しなさい」という問い掛けに対して、みんな「エッ、何のことですか?」という受け答えになり、結局予期していたヒヤリング結果にならなかった担当者は戸惑いながら帰っていきました。
ヒヤリングを受けた私たちも、そのあと「あの人、一体何を期待していたんだろう」と大笑いしたことを覚えています。

今回のお話はここまでです。

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