33.日本人の「契約」感覚は、欧米人のそれとは大きく違ってます
今回のテーマは、「契約」に関する日本人と欧米人の感覚の違いについてです。
これを取上げる理由は、ブログ30からブログ32.で提示した疑問点が、実は日本の銀行界独特のものであることに気づいている人が少ないのではないだろうかと思われるからです。
あらためて、それらのブログで述べてきた今回のテーマの背景となる問題点を列挙すると
「経常運転資金使途での手形借入は、その期日に全額一括返済できない性格の借入である」
「手形借入で使われる手形は、あらゆる負債のなかでも最も期日支払に厳しい負債である」
「手形の期日決済不能は、取引停止処分により即倒産となるので、会社としては絶対に回避しなければならない」
となります。
つまり「日本の会社は、期日決済出来ないと倒産する危険性のある手形を使用し、その手形面記載通りの期日、金額では現実的に一括返済出来ない借入をしていますよ」ということです。
もっと簡潔に言えば、「日本の銀行では、契約通りの条件では返済できない、“手形貸付”という貸出契約が一般化している」ということです。
このように借入人にとって極めて危険な性格をもつ「手形貸付」でありながら、現実にはそれが銀行と借入人の間で大きなトラブルとなったという例をあまり耳にしません。
なぜかというと、借入人側が明らかな支払不能兆候を示していない限りは、ほとんどの場合において銀行が期日に返済を要求することなく、手形の継続手続きをとるからなのです。
しかしもし銀行が手形継続を拒否すれば、借入人は手形の威力で強制返済を要求されるわけですから、これって借入人が銀行に”生殺与奪の権”を握られているのと同じことになるのではないでしょうか。
このような契約形態は、欧米ではまず考えられません。
「欧米は契約社会である」とよく言われるように、欧米人は契約書の内容にとても神経質で事前チェックを欠かしません。
それは、後になってから自分たちに不利な規定の存在に気づいたとしても、契約を締結した以上はそれに従わなければならないことは当然であるという認識が徹底されているからです。
そのため、後に不利益を被らないためにあらゆる場面を想定して契約書にしっかり規定しておくので、契約書の枚数が膨大になることも普通であると言われています。
これに対して「手形貸付」で使われる「手形」を契約書として見た場合、必ず記載すべき項目とされているのは、金額、支払期日、受取人、振出日、振出地、振出人の6つだけです。
欧米人がこの程度の記載内容だけで、期日支払不能即「倒産」となるかもしれないような危険な借入契約を結ぶとは到底考えられません。
にもかかわらず日本において、この契約がごく一般的に通用している理由こそが、契約に対する日本人の感覚の甘さであろうと思います。
日本人の契約に対する感覚には、「トラブルが起きたら話合いで解決すればいい。契約書に細かい規定を入れすぎると相手からのひんしゅくを買い、むしろトラブルを誘発することになりかねない」との思いが昔からあるのです。
これからもますますビジネスのグローバル化が進む時代ですから、こういった考え方が日本人の大勢を占め続けるかどうかはわかりませんが、少なくとも外国と取引するときは、この感覚の違いに留意していないと大やけどをするかもしれないと肝に銘じることが必要だと思われます。
この契約に関する欧米人の感覚について、とても分かりやすいエピソードを書いた本を以前に読んだことがあります。
もう数十年前のことで本の名前は忘れてしまいましたが、確か著者は渡辺昇一さんだったように記憶しています。
エピソードの内容は、「シェイクスピアの“ヴェニスの商人”を観たユダヤ人親子の会話」というものです。
シェイクスピアの“ヴェニスの商人”は有名ですから、内容についてはすでにご存じの方も多いと思いますが、念のために簡単にあらすじをお話します。
舞台はイタリアのヴェニスです。
主人公のひとりで貿易商のアントーニオは、親友に多額のお金を乞われますが、自分の財産はたまたま航海中の商船にあって、お金を貸すことができません。
そこで仕方なく、以前から仇敵のようにいがみ合っているユダヤ人金貸しのシャイロックにお金を借りに行くことにします。
アントーニオに対する深い恨みを抱いていたシャイロックは、これぞチャンス到来とばかりに喜んでアントーニオにお金を貸しますが、その際「期日までに借りたお金を返すことが出来なければ、借手であるアントーニオは、自分の肉1ポンドを切り取ってシャイロックに与えなければいけない」という条件を提示します。
自分が返済できなくなるなどとはこれっぽちも疑わないアントーニオは気軽にこの条件に同意します。
ところがアントーニオの船は難破し、彼は全財産を失ってしまうのです。
この事態にシャイロックは大喜びで裁判に訴え、契約通りアントーニオの肉1ポンドを裁判所の命令の下に切り取って私にお渡し下さいと要求しました。
この裁判を取り仕切ったのは、裁判官を装ったポーシャというアントーニオの親友の婚約者でした。
ポーシャは、判決を下します。
「シャイロックよ、契約通り、アントーニオの肉1ポンドの切り取りを許す」と。
歓喜するシャイロックをしり目にポーシャは続けます。
「ただし肉は切り取っても良いが、契約書にない血を1滴でも流せば、契約違反として全財産を没収する」と。
この判決を傍聴していた一般大衆は、「強欲なユダヤ人高利貸しがまたひとり破滅した」とやんやの喝采を送ったと言います。
以上が“ヴェニスの商人”のあらすじです。
注目はこの後に記述されている、“ヴェニスの商人”を観劇したユダヤ人親子の会話にあります。
息子は観劇後大きなため息をついて、父親に訴えかけます。
「お父さん、この劇は私たちユダヤ人に対する差別のお話じゃないですか!どうして世間の人たちは私たちをこれほど苦しめるのでしょうか?」
これを聞いた父親は息子を叱りつけて、こう言います。
「息子よ、愚かなことを言うでない!
我々ユダヤ人への偏見は数千年の昔から続いているのだぞ。
そんなことを今さら嘆いて何になる。
そうではなく、お前はあの“ヴェニスの商人”から大切なことを学ばなければいけないのだ。
それは、シャイロックがユダヤ人とっての取引の唯一の拠り所である契約書の作り方を間違ってしまったということだ。
契約書に“肉1ポンドを切り取らせて下さい”と書いた以上は、“一緒に血も下さい”という条項を必ず入れておかなければいけないことに気づけなかったことだ」と。
いかがでしょうか。
契約にこだわるとは、どれほどシビアなことであるかをとても分かりやすく伝えてくれるエピソードだとは思われませんか。
今回はここまでです。