12.「暗黙知」頼りの日本の金融界

今回はちょっと本題から離れて、昔の現役時代に感じていた色々な疑問や問題意識の中の一つをお話ししたいと思います。

それは、銀行界も含め“日本の金融界は、「暗黙知」頼りで「形式知」化の努力が足りないのではないか?”というお話です。
とは言っても「暗黙知?形式知?いったいなんのこっちゃ!」と思われた方も多いはずです。

私が初めてこの「形式知と暗黙知」という言葉を知ったのは、今を遡ること三十年近く前のことでした。

当時、貸付業務知識を後輩達に教えなければならないミッションを与えられ、自分の知識不足を補おうと必死で読みまくった本の一冊に「金融常識革命」という本がありました。
著者は、みずほ銀行の前身である日本興業銀行で役員をしておられた大野克人さんでした。

ただ「形式知、暗黙知」という概念自体は、大野さんのオリジナルではなく、当時一橋大学教授であった野中郁次郎さんによって紹介された考え方です。
大野克人さんは「金融常識革命」の中でこれを取上げて、日本の金融界における「形式知」の不徹底ぶりに警鐘を鳴らされていたのです。

そこで、私なりの解釈でこの大野さんの本で訴えられていた「形式知、暗黙知」について大雑把に説明させていただきます。

知識には、形式知と暗黙知の二種類があります。
「形式知」とは、言語説明が可能で、マニュアルや数学的表現によって示すことができる知識です。
例えば、機械の操作マニュアルや料理レシピのように、伝えたい内容が言語化・図式化できている知識を指します。

これに対して「暗黙知」とは、個人的な経験、勘、直観などに由来する知識のことであり、言語化して他者に伝えるのが困難な知識のことです。
例えば、一流職人の名人芸・制作ノウハウといったものです。

一般的に欧米人は「形式知」を重視する傾向にあるが、日本人は「暗黙知」に傾斜しがちであると書かれていました。

なるほど言われてみれば、欧米は多民族社会ですから、知識やスキルを伝えるためにはまず言葉にして説明しなければ始まりませんから、「形式知」重視となるのは容易に理解できます。
一方で、世界の注目を集めている日本の伝統芸能職人による物作りの世界は、マニュアルなど存在せず、徒弟制度のような形での技能承継が中心になっている「暗黙知」主流の世界であることに気づき、なるほどなあと納得したものです。

しかし私にとってショックだったのは、本の続きの部分で
「日本企業が世界から尊敬を集めている理由は、“組織的知識創造”の成功にある。
“組織的知識創造”とは、組織内暗黙知の形式知化、その形式知の共有、ブラッシュアップによるさらに進化した暗黙知化という知識の相互変換の習慣である。
その典型モデルがトヨタやソニーなどを代表とする物作り企業である。
しかし、世界の尊敬を集める日本企業の中には、銀行、証券、生損保の企業名は一つも見当たらない。われわれ日本の金融マンは、組織的知識創造を行っていないのであろうか。」
と書かれていたことでした。

つまり、「日本の金融マンの皆さん、あなたは自分の会社を一流企業と考えているかも知れませんが、世界は決してそうは評価していませんよ。なぜなら、あなた方の会社はひたすら経験至上主義の“暗黙知”頼りで、世界を納得させ得るような“形式知”を何も提供していないからです。」ということなのです。

この記述は、一人前の金融マンの積りでいた私にとってショックであったと同時に「でもその通りだな」と腑に落ちるものでもありました。

なぜならブログ“「資金繰の話」との出会い”に書いたように、「決算書の読み方」の解説書などどこにもなく、「貸していい会社かどうか」の判断基準を教えてくれる人もなく、不安で不安でたまらない新人時代の自分がいた場所こそが、「形式知」軽視のわが金融現場だったからです。

こんな会社の状態をトヨタさんに例えれば、「当社の”クラウン”は、名古屋工場と横浜工場の二か所で作っていますが、統一的な製造工程は決まっておらず、それぞれの工員が自由気ままな思いつきと作り方で製造しています。」というのと同じことです。
こんなメーカーがあったら一流の評価を受けるはずもなく、それどころか即倒産の憂き目を見ることになるでしょう。

金融界には、独自のマニュアルがないなどと言っているのではないのです。

「貸していい会社といけない会社をどう見分けるのか」といった、金融ノウハウの本質を同レベルで共有化するための知識体系や教育システムが確立していないと言いたいのです。

さらに私は、゛「暗黙知」頼りの日本の金融界”を裏付けるもう一つのエピソードを思い出しました。
それはまだ学生時代、就職面接のためにある一流都市銀行を訪問したときの面接担当者から聞いた経験話でした。

その担当者によると、「自分は、新規の取引先を訪問したときは必ずトイレを借用して、その清潔度合いをチェックしています。」と言うのです。
「なぜかと言うと、健全、優良な会社のトイレはなべて清潔なのに対して、信用力に劣る会社のトイレはきれいに掃除されていないことが多いからです。」と説明されたのです。

これこそ「銀行界の暗黙知、ここに極まれり」ではないでしょうか。
なぜなら、この日本を代表するような銀行の中堅社員は、「トイレの清潔度」という極めて主観的、抽象的な基準によって、貸していい会社かどうかを判断していると言っているのと同じなのですから。

誤解して欲しくないのは、「暗黙知に対して形式知は素晴らしい」と訴えたいわけではないのです。

以前、人間国宝になるような技の持ち主がインタヴューに答えて、「どうしても言葉では伝えきれない技の核心というものはあると思います。」と語っていたのを聞いたことがあります。
おそらくその内容が深ければ深いものほど、言葉にして説明した途端に本質からずれていくというジレンマは真理なのではないかと思うのです。

ただし、それはあくまで人間国宝の技といった極めて特殊な世界の話であり、会社という営利企業の中での知識伝達の話とは別次元です。

その先に「顧客」というサービス対象を抱えている営利企業だからこそ、その構成メンバーのパフォーマンスの質を確保するための「形式知」の徹底が必要なのではないでしょうか。

私にとってこのブログは、「キャッシュ利益による決算書の読み方の形式知化」です。

ただし「形式知」としての説明は、現時点でまだ不十分ですので今後の展開に今しばらく時間をいただきたいと思います。

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