46.銀行員人生の転機を生んだある事件

前回の最後に書いた、「本当に取引先に必要とされる人材か」という自分への疑問に対する答えを見つけた事件が起こりました。
それを一言で要約するなら「取引先の社長さんに暴言を吐きました事件」となります。

発端は、辞令を受けてある支店に貸付課責任者として着任した直後のことでした。
その時期は、期末の異動がほぼ内定していた支店長の「自分へのはなむけに、絶対に今期の貸出ノルマを必達せよ!」との厳命の下、取引先課の面々が相手かまわず貸出を売りまくっている最中でした。
そして、すでに貸出を実行したある会社のメンテナンス、つまりその会社の社長を応接することが私の任務になっていました。
ところがその会社は、私にすれば大いに不満のある会社でした。
決算書が赤字だったからです。
しかし、借入申込をしてもらうために取引先担当者がその社長をおだてまくっていたせいで、社長は「銀行員は自分の言いなりになって当然」という態度で、支店の応接室にやって来るのです。

そしてそんなある日、私は分別ある銀行員としてはあるまじき所業に及ぶことになります。
応接室で一対一で対応しているときに、何だったかは忘れましたが社長のある発言に、ついにキレてしまったのです。
私はこう吐き捨てました。
「社長!そんな話は決算書を黒字にしてからにして下さい!」と。
すると社長の顔色がみるみる変わっていくのがわかりました。
そして、社長はその顔色そのまま、無言で応接室から出て行きました。

私は頭を抱えました。
「後先も考えずにとんでもないことを言ってしまった。貸付責任者の身で、少なくとも貸出ノルマ達成に協力してくれた取引先に対して投げつける言葉ではなかった。」と。
今のSNS時代に暴露されていれば「思い上がった傲慢銀行員め!」とか「銀行の威を借りた中小企業いじめだ!」とかのメッセージで大炎上しかねなかったでしょう。
しかし反省しても時すでに遅し、後悔先に立たずです。
この事件がノルマ必達・支店長の知るところとなれば、左遷もあり得ると覚悟しました。

しかしその後、何のお咎めも受けませんでした。
思うに、社長が銀行側に訴え出なかったので、事件は二人の間だけのことになったと思われます。
そして、喉元過ぎれば熱さ忘れるの言葉通り、日々の忙しさに紛れて私自身がこの事件を忘れていきました。
それから約3年後、再びこの事件を思い出さずにはいられない事態に陥ります。
転勤の辞令を受けて、貸出取引先へ転勤のあいさつ回りをしなければならなくなったのです。

取引先課が回してきた「訪問先リスト」を見て青くなりました。
暴言をおみまいした社長の会社がリストにあったからです。
「勘弁してほしい。社長と再会したら、きっとあの一件を蒸し返されるに違いない。なんとかならないだろうか」と祈りましたがなんともなりません。
肚を決めて、訪問しました。

その会社の応接室に通されて待っていると社長が入ってきました。
開口一番、社長は「〇〇さん」と私の名前を呼んだあと「わたしはこれから先も絶対にあんたの顔を忘れない」と切り出しました。
私は予想通りに「来た~」と思い、そこから延々と続くであろう糾弾の嵐を覚悟しました。
しかしそれに続いた社長の言葉は、私を驚愕させるものでした。
社長はこう言いました。
「あの時、あなたの言葉を聞いてわたしは正直怒り心頭に発し、帰り路でこう決意しました。今に見ておれ、来年には黒字の決算書をあなたに叩きつけて見返してやる!」と。
「でも一年後の決算書はまた赤字でした。なにくそと奮起したものの、二年目もまた赤字です。そしてようやく今期、黒字のめどがつきました。私は決算書ひとつを黒字にすることが、これほど大変であることを身をもって知りました。でもこの努力がなければ、私の会社はとうに潰れていたかもしれません。今ではあなたのあの言葉に本当に感謝しています。」と。

私にとっては、感動感激の言葉でした。
それまでの銀行員人生で、取引先からそんな言葉をかけられた初めての経験だったからです。
そして、これこそがそれまで漠然と感じていた自分の疑問への答えであることに気づきました。

そうだ!自分にはこのアイテムがある。
「決算書が読める」ことによって、取引先の経営実態がわかる、
それを社長に還元すれば、社長は会社へのサポートとして感謝してくれるではないか!」
ということです。

ただしこの事件はある意味ラッキーだっただけで、決算書の赤字、黒字程度の指摘を有難がる社長はほとんどいません。
さすがにそのぐらいのことは、決算書から社長自身も自覚しているからです。
でもそれをキャッシュフロー分析を使って説明すれば、つまりこのブログで繰り返してきたように「PLの利益は一体いくらのキャッシュを増加させたのか、またそのキャッシュは何に使われているのか」を説明すれば、経営者である社長にとっての大きなインパクトになり得るはずです。g
さらには、これを自分だけのアイテムにとどめず、わが銀行営業マン全員の共通アイテムに出来れば、どの銀行の「貸出」もまったく同じという、他の業界ではあり得ない性格を持つ「貸出」という商品に、大きな付加価値をつけることが可能になると確信したのです。

そしてあの時は、必ずしも明確に意識していたわけではないのですが、30数年たった今、あらためて振り返ると、この事件は間違いなく私の銀行員人生にとっての大きな転機になったと思われます。
それはこの事件の後、自分自身でも驚くような出来事が起こり始めたからです。

私が転勤のあいさつ回りを終えた後着任したのは、銀行貸出を統括管理する部署でした。
私はこの辞令を受けたとき正直「これで自分の現場勤務は終わりか」と若干気落ちしていました。
でも示達された職務内容は、「研修講師」だったのです。
「キャッシュフロー分析を現場の営業マンに定着させて、強力なアイテムとする」という構想をみずからが実現できる立場になったということです。

さらに続きます。
私が研修講師を拝命した時期は、銀行の不良債権問題の時期と重なります。
その対応策の意味もあって、貸出業務の統括をミッションとする在籍部署では、それまでの決算書分析システムを見直すという課題が持ち上がりました。
部署内での新モデル案の募集に対して私は、自分がEXCELシートで作成した「キャッシュフロー分析モデル」を提案し、何とそれが正式採用されることになったのです。
その後、銀行のコンピューターシステムも刷新して「キャッシュフロー分析主体の新・決算書分析モデル」を完成・公開することになりました。
これは、上場企業にキャッシュフロー計算書の開示が義務付けられる数年も前の話であり、恐らく当時の銀行界で最も先進的なシステムだったはずだと自負しています。

やがて私が在籍した銀行は、銀行再編の流れの中で名前を変えて、メガバンクを構成する一行となりました。
銀行再編にあたっては、メンバー中のもっとも有力な銀行のコンピューターシステムが存続するのが通常ですが、決算書分析システムに関しては、「キャッシュフロー分析」の独創性が評価された結果、私が発案した決算書分析システムが現在もメガバンクの標準システムとして活躍しています。

不正防止の意味もあって、通常どの銀行にも同一部署に長期在籍させないというルールがあるのが一般です。
私の場合、「キャッシュフロー分析」モデルを新銀行に定着させるためには、モデル発案者自らが研修を担当するのが一番との判断があったのだと思います。
結果的に四半世紀もの間、研修講師を務めることとなり、その後退職して銀行員人生を終えました。

今回のお話は以上です。
次回からは、銀行勤務の中で遭遇したいくつかの驚きの出来事を「ある銀行員の事件簿」として、お話します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です