45.「パパの歌」の思い出
前回までのExcelファイルの作成に関する説明でキャッシュフローにひと区切りがついたので、今回からは少し趣を変えたお話をします。
「銀行」という職場を経験したことがない方々にも、その一面を知って頂けるような自分の体験談をお話ししていきます。
皮きりは忌野清志郎の「パパの歌」にまつわる思い出話です。
スマホで歌を聴きながら、毎朝散歩をするのを日課にしています。
先日その最中に懐かしい声と節回しの歌がイヤフォンから流れてきました。
忌野清志郎の「パパの歌」でした。
この歌は1991年のリリースで、当時清水建設のCMソングでしたから、聞けば恐らく誰でも「ああ、あの歌ね!」と思い出されることだと思います。
ちなみに一番の歌詞を紹介すると、
家の中では トドみたいでさ
ゴロゴロしてて あくびして
時々ブーっとやらかして
新聞みながら ビール飲む
だけどよ
昼間のパパは ちょっとちがう
昼間のパパは 光ってる
昼間のパパは いい汗かいてる
昼間のパパは 男だぜ
カッコイー
歌い出しでは「聴いたことあるなぁ」だったのですが、後半の「だけどよ」以下を聴いた瞬間に一気にある思い出がよみがえってきました。
それは今からもう30年近くも前、銀行のある勤務支店での話です。
その支店では支店長の発案のもと、「聞いたふりをしながらみんな別のことを考えているような訓示形式の朝礼はもう止めよう。これからはみんなで順番に思い思いのことを話す『3分間スピーチ』の時間にしよう。」
ということになり、男子行員、女子行員、上司、部下関係なく、それぞれ一人3分の持ち時間で好きなテーマを順番に話すことになっていました。
その『3分間スピーチ』の順番が回ってきたとき、私は「忌野清志郎の『パパの歌』を聞いて思うこと」を同僚の前で発表したのです。
もう大昔なので細部は忘れてしまいましたが、その話の中核部分はこんな内容だったと思います。
「私は、自分の二人の子どもたちに自分の仕事現場を見せて、『昼間のパパは 光ってるとか、昼間のパパは 男だぜ、カッコイー』などと本気で言わせることは到底無理だろうと考えています」というものでした。
なぜそんなことを思っていたのか、が今回のブログの中心です。
理由は、「銀行の法人営業部門、なかでも貸付係という職場で働いている昼間のパパを、子どもたちに説明してイメージさせるのは極めて難しい」と考えていたことによります。
「銀行」と聞いて、一般の人がすぐに思い浮かべるのは銀行の預金窓口だと思うのです。
明るい「いらっしゃいませ」のかけ声で迎えられて、預けた大切なお金をすぐに通帳記入して「ありがとうございました」の声と共に送り出してくれる、やさしいお姉さんたちと後ろでそれをサポートしている銀行員たち。
これなら明るく前向きなイメージで、子どもたちにも「銀行で働く昼間のパパは、光ってる」と言わせることも不可能ではないと思えます。
でも昼間のパパが働いているのは銀行の預金部門ではなく、「貸出取引を推進する法人営業部門」なのです。
この仕事を子どもたちに理解させることには、大きなハンディがあると感じていました。
一般の会社であれば、「何屋さんです」と言われた途端にそこで扱っている商品を具体的に思い浮かべることができ、同時にその商品がお客さんにどう役に立っているのか、を理解させることは難しくありません。
一方、銀行の法人営業部門の商品は何かと言うと「貸出」であり、その営業目標は「銀行の貸出金残高を増やすこと」です。
この商品は具体的な『モノ』ではないために、見せることも体験させることもできません。
では普通の商売と同じように、代金に代えてお客さんに手渡す物は何か、と言うとそれは「お金」です。
つまり銀行の法人営業マンの仕事とは、「貸出という名の『お金』を売る商売」であるとも言えます。
みなさんは、「お金を売っている人」を具体的にイメージできるでしょうか。
例えば、トヨタのトップセールスマンなら、誇らしげに子どもたちにこう言うでしょう。
「パパは、カッコいいトヨタの車を世界中の人達に買ってもらっているんだよ。通りをトヨタの車で埋め尽くすのがパパの夢だよ」と。
銀行の法人営業を担当していた私が同じように言うとしたら、「パパは、いろんな会社にお金を貸して貸して貸しまくっている人なんだよ。この世界をパパが貸したお金で一杯にすることが夢だよ、すごいだろう!」と教えるのでしょうか。
そしてその舌の根も乾かないうちに「でもお前たちは、絶対に人からお金を借りたりしちゃダメだよ!」と戒めておかなければいけないのです。
そんなパパを子供たちが「昼間のパパは 男だぜ、カッコイー」と思ってくれるとはとても思えない、というのが「3分間スピーチ」の要旨でした。
でも当時の私には、「自分の仕事を、子どもたちが誇らしく思うようには説明できない」ということ以上に、切実に感じていた疑問がありました。
それを端的に言うなら「自分は、お客様である取引先企業に本当に必要とされている銀行員だろうか」という疑問です。
別に「自分は無能な銀行員なのでは?」と疑っていたわけではないのです。
すべてとは言えないまでも、そこそこの数の上司と部下の信頼を得る仕事は出来ていたと思っています。
しかし同時に、「それは取引先の自分に対する信頼の結果である」という確信が持てていなかったということです。
銀行収益に最も貢献する要素は貸出であり、銀行のランク付けも基本的には「貸出金残高の大きさ」で決まります。
そのために銀行営業の最前線である支店には、「貸出金をいくらいくら増やせ」という厳しいノルマが課されます。
しかしこのノルマを強調しすぎると暴走して不良貸出の山を作りかねないので、当時私が在籍した銀行では支店の営業組織を取引先課と貸付課に二分していました。
取引先課のミッションはセールス活動による貸出案件の開拓であり、貸付課のミッションは貸出案件のチェックです。
つまり取引先課がアクセルを踏み、それを貸付課がブレーキで調整するという構図です。
その結果、ノルマ必達を至上命題にする支店長の中には、取引先に不必要な貸出を奨励し、それにブレーキを踏む貸付課を極めてうっとうしい存在と感じる人もでてきます。
現に私はその昔、貸出案件に異を唱えたために、座席の後ろに立った支店長から「お前、その態度を改めないならいつでも飛ばすぞ」とささやかれたことさえありました。
私はこのブログを「貸せない会社を見落とさないための『決算書を読むスキル』」というニュアンスで書いてきましたが、実はそんなスキルは、支店のノルマ達成にとっては邪魔なスキルだとみなされかねないのです。
銀行の貸出姿勢を批判する言い回しに、「銀行は、晴れのときに傘を貸しても、雨のときには貸さない」というものがあります。
私はこの批判は間違っていると思います。
「雨のとき」という定義が極めてあいまいだからです。
晴れの日までは到底持ち堪えられそうにない土砂降りの雨に打たれている人には、心を鬼にして貸してはいけないのが、銀行貸出の鉄則です。
土砂降りの雨には、周りの人までびしょ濡れの悲劇に巻き込むものや二度と晴れの日を拝むことは無理なレベルのものまであるからです。
なにより銀行の貸す傘は、自分の傘ではなく一般人が貸してくれた『預金という名の傘』であることが重要です。
銀行に「雨に打たれているすべての人に傘を貸す」ことを義務づければ、この経済社会は崩壊します。
すべての雨に打たれている人を助けたいと思うなら、お金を「貸す」のではなく「あげる」つまり「寄付」すべきです。
でも批判する人たちも、そんなことを自分に要求された途端に「それは誰か別の人にお願いしたい」となるのではないでしょうか。
ですから、銀行の法人営業担当者が本来身に付けるべきスキルとは、「取引先が打たれている雨が、土砂降りの雨なのかにわか雨なのかを見極める能力」のはずです。
一方、銀行顧客である企業側では、雨に打たれることを恐れるが故に「傘を貸してくれる銀行」を大事にせざるを得ないという弱みがあります。
その結果、銀行の法人営業担当者側には「自分が背負っている『銀行名という看板』に対する取引先の敬意を、自分の能力に対する敬意と勘違いする」ということも起こりがちなのです。
銀行で評判の優秀営業マンと言われていた人が別業界に転職した後、自分のファンだと思っていた社長の会社を訪問したら、門前払いされたという話もあります。
近江商人の経営理念は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」の精神だと言います。
つまり企業のあるべき姿は、「自分の利益だけでなく、顧客の利益も尊重し、それによって社会に貢献する」ことだったはずです。
「自分は果たしてそういう理念を実践する銀行員になり得ているだろうか、とりわけ取引先にとって必要不可欠な存在になり得ているだろうか」というのが当時の私の疑問であり「いたみ」でもあったのです。
しかしそれから数年後、ある事件をきっかけに、ようやく自分の疑問に対する「答え」を見つけました。
その「答え」とは何だったのかは、次回「取引先の社長さんに暴言を吐きました事件」に譲ります。

