29.貸付係の常識・「運転資金の考え方」は間違いでは?
「キャッシュ利益計算シート」の仕組みと考え方を理解すると、貸付係の常識のように扱われている概念のいくつかに疑問が生じてきます。
今回はそれらのうち、まず「運転資金」について取り上げてみたいと思います。
貸付係のあなたは、「貸出金の使途=有利子負債増加額の使途」は貸出審査の重要な要件の一つであり、「健全な貸出金使途の代表は、運転資金」と教えられてきたはずです。
「運転資金」とは、会社が営業継続のために必要とする資金の総称です。
「運転資金貸出」は、「会社の健全な成長に役立つ資金の供給」という銀行のあるべきスタンスにも合致することから、前向きに対応することが求められているのです。
「経常運転資金」とは、日常の営業活動に必要とされる運転資金であり、「運転資金」とほぼ同義に使われています。
次に売上拡大によって新たに必要となる運転資金を「増加運転資金」と呼びます。
算出式は、
経常運転資金=貸借対照表・売上債権残高+貸借対照表・棚卸資産残高-貸借対照表・支払債務残高
であり、
増加運転資金=貸借対照表・売上債権増加額+貸借対照表・棚卸資産増加額-貸借対照表・支払債務増加額
とされています。
しかし、「キャッシュ利益計算シート」のロジックを理解して、「貸借対照表の勘定科目の増減は必ずキャッシュの増減をともなう」ことを理解すると、前述の運転資金算出式に疑問が生じます。
会社の営業によって、売掛金や受取手形、在庫や買掛金、支払手形などの運転資金勘定は常に増減しますから、特に貸借対照表・売上債権増加額+貸借対照表・棚卸資産増加額-貸借対照表・支払債務増加額の計算結果がプラスになる場合、売上債権増加額+棚卸資産増加額が示すキャッシュアウト額が支払債務増加額が示すキャッシュイン額を上回ることになり、その額を借入金増加によるキャッシュインで補う必要があることは確かに理解できます。
でもなぜ会社の営業によって増減する債権・債務勘定を売上債権増加額と棚卸資産増加額と支払債務増加額の三種類に限るのでしょうか。
言いたいことは、「その他営業債権増加額、その他営業負債増加額をなぜ運転資金に含めないのですか」という疑問です。
貸借対照表上で、前渡金、前払費用、未収収益、仮払金などの「その他営業債権」が増加していた場合、その増加額分のキャッシュは確実に出て行っています。
一方貸借対照表上で、未払費用、前受金、前受収益、預り金などの「その他営業負債」が増加していれば、その増加額分のキャッシュは確実に入金しているはずなのです。
これらの勘定が会社の営業とは無関係であるとは外部から断言できない上に、しつこいですが勘定が増減している以上は、キャッシュも絶対に増減しているのです。
例えば、会社の貸借対照表から「増加運転資金」を計算した結果が以下の様であったとします。
売上債権増加額=50百万円、棚卸資産増加額=100百万円、支払債務増加額=70百万円
増加運転資金=50+100-70=80百万円 となります。
ところがこのとき、その他営業債権の増減はないものの、前受金増加額=90百万円という「その他営業負債増加額」が発生していたとしたらどうでしょうか。
従来通りの「増加運転資金」の定義にしたがって、80百万円の資金需要があると考えて、銀行が運転資金貸出80百万円を実行することに何も問題はないのでしょうか。
これは大問題です。
なぜなら、いくら「増加運転資金」の計算結果が80百万円のキャッシュアウトであろうと、そのキャッシュアウトは、前受金増加額=90百万円のキャッシュインによってカバーされて、当社の営業に伴うキャッシュはキャッシュ不足どころか10百万円のキャッシュ余剰状態にあることに気づかなければならないからです。
しかし、こんな反論をする人がいるかも知れません。
「確かに前受金増加90百万円によってキャッシュインが発生しているけれど、当社はこれを当期に購入した80百万円の機械設備の支払に充当したので、銀行からの借入金80百万円は増加運転資金として使用されたと考えても問題ないのではないか」と。
使ったお金に色が付いていないことから、ついこのような反論を受け入れてしまいそうになります。
だからこそ、「キャッシュ利益計算シート」の「有利子負債使途の優先順位」の考え方を理解しておく必要があるのです。
あらためてその順位を示すと、「1.当期最終キャッシュ利益で生まれたキャッシュ」⇒「2.投融資によるキャッシュアウト・イン合計」⇒「3.資本・その他調達によるキャッシュアウト・イン合計」⇒「4.金融取引によるキャッシュアウト・イン合計」です。
これらを有利子負債増加によって得たキャッシュの使途順であるとも考えると、「1.当期最終キャッシュ利益で生まれたキャッシュ」に有利子負債増加額が充当される場合は、「当期最終キャッシュ利益赤字」であることを意味します。
つまり、「キャッシュ利益」は会社の最重要キャッシュであるが故に、会社本来のキャッシュインはまずキャッシュ利益で調達すべきなのです。
それが出来ていない「キャッシュ利益赤字」状態は、会社にとっての緊急事態で、「キャッシュ利益赤字の補填」のためのキャッシュインの確保が最優先となります。
そのために、固定資産を売却するといった対応も考えられますので、次に「1.当期最終キャッシュ利益赤字額」+「2.投融資によるキャッシュアウト・イン合計額」を計算します。
この結果がマイナスになる場合は、キャッシュ利益赤字額を投融資によるキャッシュインでカバーしきれなかったことを意味しますから、続けてこの金額に「3.資本・その他調達によるキャッシュアウト・イン合計額」を加算します。
この算出結果がマイナスになる場合、キャッシュ利益赤字額を投融資によるキャッシュインでも資本・その他調達によるキャッシュインでもカバーしきれなかったことになり、そのマイナス額を「4.金融取引によるキャッシュイン合計額」によってカバーしたと考えます。
ただ「4.金融取引によるキャッシュイン合計額」の中身は、「現金預金増減」と「有利子負債増減」の二つがありますから、「有利子負債使途がキャッシュ利益赤字の補填である」とみなされるのは、「現金預金減少額を有利子負債増加額が上回っている場合となります。
以下同様のやり方で、仕分けて行けば「有利子負債増加額がどのようなキャッシュアウトに充当されたのか」を特定することができるのです。
すると先ほどの反論、増加運転資金80百万円の妥当性説明は成り立たないことに気づかざるを得ません。
なぜならさきほどの事例会社のキャッシュ利益は黒字、つまり営業によるキャッシュは増加したはずなので、「運転資金」が必要になるはずがないからです。
よって、「運転資金」の構成勘定を売上債権、棚卸資産、支払債務の三つに限ってしまうのは間違いであり、キャッシュ利益算出シートが経常キャッシュ利益の構成要素としているように「その他営業債権」と「その他営業負債」を加えなければ、営業活動による正確なキャッシュ増減額を把握できないことになるのです。
以上、貸付係の常識・「運転資金」の考え方の誤りについてお話しました。